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負けないたたかい 上村和子 |
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この一連の経過について、@なぜ打ち切られそうになったのか、 ■補助金の打ち切りと在日朝鮮人への政治的圧力 住基ネットを切断し、有事法制に質問をつきつけ、イラク派兵に反対の意を表明する上原市長の「補助金を打ち切る」理屈は、以下のようなものであった。 当初、2004年度1年かけて、他の外国人学校まで支給対象を広げる予定だったが、今年(2004年)1月に入り、国の三位一体改革により、地方交付税がなくなる等、ぐっと歳入が落ち込むことがわかり、緊急財政措置として前だおし的に、補助金を削減しなければならなくなった。 朝鮮人学校児童・生徒保護者補助金については、庁内の課長等で構成される補助金検討委員会で、公平性(朝鮮人学校だけでは、他の外国人学校と比べて不公平であるという理屈)に問題があり、(ただし、この評定は、分散指数が高く、各人の評定のバラつきが大きく信憑性に欠けるものであったのだが)とされ、見直し対象となっていたので、緊急財政措置として一旦、2004年度予算には計上せず、その後新たに、他の外国人学校まで拡大し、所得制限もつけた(なぜ所得制限をつけるうかというと、公立学校に通う子どもの中にも家計が厳しい状況もあり、この種の補助金に、所得制限をつけるのが一般的というのが市長の理屈であった)かたちで、2004年度中に再スタートさせる。 よって単なる廃止ではなく、前向き(!?)に見直すものであるので、ご理解いただきたいというような趣旨であった。 本音は9・17以降、在日朝鮮人及び朝鮮学校に対する様々な政治的圧力により、今回の朝鮮学校への補助金を見直しせざるを得なくなったのだと私は見ている。 たてまえとして市民派市長ということで、他の外国人学校の子どもたちへも拡大する方向の見直しであり、むしろそのことによって、一連の在日の方々に対する攻撃を回避できるので、かえって朝鮮学校の皆さんのためにもなるという、市長の浅く危ない、偽善的な認識に、この日本社会のリベラリストといわれる人の深刻な問題が垣間見える。 393億円程の国立市全会計の中で、わずか51万9千円の朝鮮人学校児童・生徒保護者補助金を、財政上の理由で打ち切る必要はまったくない。 又、他の外国人学校へ子どもを通わせている保護者等からの拡充の要請は何一つない. その中で、慎重の上にも慎重を期せねばならない朝鮮学校への補助金を乱暴に、一旦ゼロにした後、見直すやり方そのものを許してはいけないと私は感じた。
■朝鮮学校のオモニや学生らとともに 学校へは、2月17日に初めて市教育委が来校し、4月以降の補助金はできない旨の一方的報告を行ったということであり、当事者抜きの市教委の姿勢に憤りをさらに感じだ。 一連の市長の執政を改めるには、3月議会の予算審議において、一般会計予算を否決し、修正予算で復活させる他なしというのが私の意見であった。 上原市長に対しての野党的立場は、自民党、公明党と私で過半数を超える。 従って一般会計そのものを否決することは困難ではないが、朝鮮人学校児童・生徒保護者補助金を否決のシンボルに入れこむことは、当初、多くの人が不可能に近いと感じたと思う。 事実その後の復活・継続を求める会の話し合い時に、自民党・公明党が賛成してくれるとは思えない、その担保はあるのかと、在日三世の学生の方に問われたとき、担保は作るものだ、隣の人を変えられなくてどうすると私は意気込んだ。その言葉は、むしろ自分に課した責務だった。 これまでの関係の中で、自民党・公明党の議員一人一人とオモニ会と話し合える場の設定は私が、又、基本的には理解を示す与党側の議員に対しても会って話すことをもう一人の議員が行うことになった。 又、市民へも支援体制の輪を広げることを決め、障害者の方々や教育・PTAの活動をなされている方々,府中チマチョゴリの会の方々などに声をかけることとなった。 又、一橋大学の民受連(民族学校出身者の一橋大への受験資格を求める連絡協議会)の学生にも声をかけることとなった。 そこから、当事者であるオモニ会を中心とする学校関係者と、市民等と議員が一致団結して復活への運動を開始することとなる。 わずか4名しかなかった当該のオモニたちは他のオモニ会のサポートを受け、一人一人の議員たちと会っていった。 在日朝鮮人の置かれた社会状況の深刻さと、我が子に対する思いを切々と訴えていった。西東京第一初中級学校オモニ会の要望書中にその思いを集約した部分がある。 「日本に生まれ育った朝鮮人の子どもが、朝鮮語を学び、朝鮮文化を享有することは何人も侵すことのできない権利であり、 子どもが自分自身を否定しないための必須のものであります。(中略) 私たちは我が子が朝鮮人であることを自然に捉えてくれることを願っているに過ぎません。それは自分自身を受け入れるという、最も基本的な人格形成に関わる問題だからです。 在日朝鮮人が日本に存在する歴史的経緯にもかかわらず、こうした当たり前の親の願いが実現されない日本社会で、朝鮮学校の存在をも認めようとしないのならば、それは朝鮮人の子どもが人間として生きることを否定するにも等しい。」 朝鮮人学校児童・生徒保護者補助金を廃止することは、朝鮮学校そのものの否定につながり、そのことは、わが子の生存権の否定となるという趣旨の訴えは、決して諦めない、負けることのできない彼女たちのりんとした覚悟を物語っていた。 「たとえ1円でもいいから、制度を残して欲しい」と訴えた、当該保護者のハン・ヨンスクさんの言葉は、議員、市長の心に届く象徴的なことばとなっていった。 一世の方々が、日本が犯した戦争による侵略、植民地支配、強制連行の戦争犯罪に対して、責任を取ってこなかった中、我が子のために土を耕し、学校をつくられた、その学校で学んだ二世が、生きる権利の発動として、補助金の復活を求め、三世の子供たちへ道をつなげようとしている姿は、朝鮮学校そのものが、在日朝鮮人の方々のふるさと、原点となっていることを感じさせた。 そのまっすぐな訴えは、議員の心に、これは政治問題・イデオロギーの問題にしてはならない、子どもたちの教育の問題なのだという、本質として受け入れられていった。 結果、2004年度一般会計予算は3月の最終本会議で、自・公・私の過半数を持って否決され、その象徴として、朝鮮人学校児童・生徒保護者補助金をが述べられることとなる。 弱者切り捨て、当事者無視の緊急措置は、市民への多大な不安を与えたとして、市長の反省を求める決議も採択された。 4月28日の修正予算で、全額復活・計上された。何と、自民党から、朝鮮人学校児童・生徒保護者補助金の復活要求が出されたということであった。 その影には、国と国との政治を問題にしてはいけないという、子どもの問題なのだとして、他の介入・圧力をはねのけて、まとめ上げた議長の動きがあったことを加筆したい。 又、国立で長年に亘るPTA活動の中でようやく当初予算に計上できた校庭の砂ぼこり対策費も、「財政の問題ならそちらのほうを切って朝鮮学校の補助金を復活させて欲しい」と言った市民、自分達の地域自立生活の危機に直面し、ようやく全会派の合意をとり、障害者福祉の制度の費用を計上できたそれを一旦否決して、朝鮮学校の補助金と共に復活させようという要望を出した障害者団体、彼らの運動と共にいた私にとっては、今も涙がこぼれ落ちる。 共に生きるということはこういうことだと教えられた。 この様な、市民達の強い支援と、事務局に徹し3000筆の署名を集約し、内外へアピール活動をしてくれた学生たちの動きがあり、また「最後の最後、だめだったら、抗議のハンストを共にやろう」と言ってくれた府中のチマチョゴリの会の人達がいた。 地域だからこそ、顔と顔を合わせる関係だからこそできたことだと思う。 真正面からこの問題に取り組んで逃げなかった、オモニ達の勇気の勝利だと私は言いたい。 今、市教委は、来年度に向けて、しきり直しをはかっている。新たに、これまでの議論をふまえ、支給拡大の要綱案を作成中である。 その見直し過程には、案の段階で、学校・保護者に説明相談し、合意を得られるものにしてから、確定することが位置づけられた。 もちろん、警戒すべき点は多々あるが、ようやく、当事者にきちんと対応することからスタートできるようになった。 皆で守ったこの補助金の小さな芽を、国立で大事に大事に育てていきたい。私には在日朝鮮人の「心友」がいる。又、今回、たくさんの友ができた。その人たちと、私は、共に生き、私たちの子どもたちが仲良く、幸せに生きていける社会をこの国で、地域でつくり続けていくことをあきらめない。 今私は、朝鮮学校を平和のシンボルと考えている。 先日朝鮮大学校際で、朝鮮大学校教授高演義さんにはじめてお会いした。その時、勝ってないかもしれないが、負けないたたかいをしていきたいと述べた私に、高さんは、「負けないたたかいとは、残るたたかいですよ」と教えて下さった。この言葉を、未来を切り抜くキーワードとしたいと思う今日この頃である。 (ウエムラ・カズコ 国立市議会議員) ※「인권과 생활(人権と生活)」Vol.19(2004)より |
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◆上村和子さんは、昨年(2004)12月11日、同胞、日本人、学生等180余人の参加の下に中野サンプラザで行われた「扉は今、開き始めた─朝鮮学校生の資格取得問題を考える」集会で上記内容で報告されました。 |
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